主人公の須賀は、戦略系のコンサルティングファームで働く三十歳。七年間の勤務の褒賞として得た、一年間のサバティカル(一時休養)の権利を行使して、バンコクに滞在している。
転職して別会社にいる元同僚の高野さんから、突如選考を辞退し音信不通となったタイ人のアリサについて調べて欲しいと頼まれ、会いに行く。

「シェア」「サバイブ」から一貫して「勝ち組たちの憂鬱」をテーマとした作品が続く著者。
著者の経歴をそっくりそのまま生かした、コンサル的言い回しがちりばめられた文章は、新鮮で嫌いではない。

前作までと毛色が異なって感じる理由は、その"圧倒的村上春樹感"にある。
文体、登場人物の台詞回し、比喩等、村上春樹にそっくりで、おそらく強く意識されている。
 
不躾に言えば戦略コンサル版村上春樹だ。


「顧客の役に立てるやつだけに存在価値がある」「選ばれないまま檻の中にいたらどこかで殺処分になる」、
エリートとして、そんな厳しい競争社会の中を歩んできた登場人物たち。

彼らが生き残るためには、パックマンのように、曲がり角ごとにいつでも正しい選択をしなければならない。とにかく速く、とにかく遠くまで進むことを求められ、必死にそれを続けているあいだは、積もっていく違和感の正体を認知することができない。

誰もが同じような遅延(ディレイ)を抱えて、そのわずかな、だが致命的なコンマ何秒を解消できずに過ごしていた。そう見えた。

アリサは自動車事故で、須賀はサバティカル(一時休養)でスピードを落とし、ようやく、これまでの選択、これからの選択について考える。合理化のために捨象してきたいくつかの感覚は、はるか遠くに追いやられ、もはや干からびてしまって思い起こすことができない。

人間は差分が無いと物事をうまく認知できんのだよ。足を止めたら捉われる。一度前に漕ぎ出したら余裕などない。遠くに着いたら後ろなど見えない。すべてはそういうように出来ている。パスカルも言っていただろう。

キャピタル(資本)とは適切に距離を置くべきだし、ときどき立ち止まって、現実と自意識の差分についても適切に調整する必要がある。
アリサがファームに入ることを突然やめた理由は、はっきりとはわからない。ただ、自分は彼女の「冗長性」だとアリサが言う双子の姉が、その決定に深く関わっている。それは何を示唆するのか。


時間は不可逆だ。

速さは遅さを兼ねないし、遠さは近さを兼ねない。そして未来は今を兼ねない。

そしておそらく、プロジェクトの総体は、人生を兼ねない。




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作品紹介

僕は市場原理から逃げて、車椅子の彼女と出会った。肌寒いバンコクで資本と個人の適切な距離ってなんだろう?芥川賞候補作品。
(文藝春秋BOOKS HPより)